【店長コラム】創戯旅団 第73夜 エレガンス黎明期物語
【店長コラム】創戯旅団 第73夜 エレガンス黎明期物語
※2025年02月08日09時34分
創戯旅団コラムでも、まだまだ過去の面白ネタは語り尽くしてはいません。それこそお店は14年間も営業をしているのですから、僅かコラム72話で何を語れるのかとなります。その中でもエレガンスが新規開店してから私が合流する迄に9か月あったのですが、その期間の事を詳しく語れていませんでしたね。言わば空白の9か月になってます。そんな訳で今回はその9か月の間に何が起きていたかを語りましょう。私が直接目視したのではありませんから、あくまで師匠から聞いた師匠目線の話しです。しかし、これが意外にも重要な情報が詰まっているのです。ですから、近場の同業者や関係のある広告代理店や身内からしたらマジでという話しが沢山出てくるでしょぅ。そこら辺の裏事情など知る由もない読者様には何のこっちゃとなるので、半分は身内ネタでもあります。しかし、私は師匠本人の本音を聞いてしまっている以上は、私の身近にいる人々に取って危険な情報でしょうね。結構、爆弾ネタの宝庫なんですよ。私的には腹を抱えて大笑いですが、人によっては顔が青ざめるのは確実です。それでは、エレガンス劇場黎明期編開幕です。
私のエレガンスに合流する迄の話しをした中で少しだけこの時期の話しに触れていましたね。そして、香ばしい匂いがする話しを伏せて、敢えて後日に話しますと読者様とは約束しましたね。まずは、いきなりその一部確信の部分から話しは始まります。エレガンスが出来るきっかけとなったのは2つの理由からでした。まず1つ目の理由は師匠がSMクラブ好きであり、過去に1回だったか2回はSMクラブの営業にトライして挫折していた事です。ここの1回か2回と表現しているのには理由があります。その1回目と2回目が分離しているのか同一店舗なのかが、今となっては判らんくなってしまったので、どちらかと云う表現なのであります。そこら辺の過去の話しは師匠に聞けば話してくれたと思いますが、過去の話しに私が興味を持っていなかったのと、師匠も自分の失敗談を率先して語る事はありませんでしたので聞きそびれてしまったのです。そんな理由から派遣型SMクラブに再トライしていたのです。師匠は失敗したままで終わりたく無かったのでしょう。最初のトライはデリヘル業界創世記の頃の話しになるので、2010年よりも5年以上は前の話しです。師匠はその失敗が余程悔しかったのでしょうね。そして二つ目の理由。これが、どうにも私的には面白過ぎたのです。当時、師匠のお店には3人のお荷物が居ました。私的には面白くても、師匠的には最悪だった話しです。何故ならば、偉い方から順番に3人がよりによってポンコツなのですよ。本人達はそんな事無いと否定するでしょうが、師匠はお荷物と評価していました。しかも全然仕事すらしていないのが2人も居るとなったらしく、その2人に現場の仕事をさせるつもりで、一つ目の理由と合わせエレガンスを開ける事を決意したそうです。それが2010年の後半の話しでした。そしてスタートの時期を2010年12月に合わせて新規開店したのです。女王様が3人とそれ以外にも師匠の店から5人がヘルプで手伝っていました。とは言え立ち上げは厳しい船出になりました。兎に角お客様は少ないですし新規の電話も鳴らないのです。キャストさんの頭数は揃っているのに電話の鳴りが足りないのですから崩れるキャストさんも出て来ます。若い女王様2名が掛け持ちをしだしたので、まずはクビになったそうです。クビになった理由は厚木のデリヘルで掛け持ちをしていた事だそうです。それは流石に師匠的には裏切りに思えたらしくクビにしたと言っていました。そしてあの関東人に取って最悪な1日を迎えます。3.11東日本大震災です。コレがまた大きなダメージとなります。この時には師匠のお店から1人だけ完全移籍して来ていたのでM女1名、女王様1名、ヘルプ4名の布陣で何とか凌いでいましたが、指名客を増やせていません。少しずつお客様は減少傾向にありました。当時のウチのお店の体力がひ弱であった事と東日本大震災で人々が貧困になり精神的に参っていたのが重なり、ダメージが早くも表面に出ていました。その中で師匠のお店からエレガンスに在籍を変更していたM女さんが飛んでしまいます。この方は、後で判明するのですがウチを飛んで川崎のソープランドに行っていたらしいです。そうなると、いよいよエレガンスの純粋な在籍は1人になってしまったのです。募集は継続して打っていましたが反響はありませんでした。このキャストさんの離反辺りが崩れ行く前兆だったのでしょう。
2011年の5月~8月くらいまでがエレガンスに取っては、最初の正念場を迎えた時期になりました。ここを乗り越えなければ、お店が軌道に乗らないままに閉店を迎える最悪の結末を迎えてしまうでしょう。まず転機となったのがエレガンスに配属になっていた組織のNo.3がクビになった事です。え?この人でもクビになるんだ?って程の大幹部だったのです。私も後から事の顛末を聞いてマジかと思いました。そして、実際には何があったの?と知りたい関係者も沢山居ますよね。グループ内の店舗側男性スタッフ、送りなんかをやって貰った事があるキャストさん。続いている人も居れば辞めてる人も居ますがウチの関係者は何で?と思っていた事でしょう。そして、周りの近しい同業者諸君も真実を知らなかったでしょうね。この事実はある1名の人間からしか広がらなかった筈なのですが、そちらもクビ候補でしたし、仮に切られた本人から話しを聞いた人間が居たとしても、本人が一番現実を見えていない事案であった事は明白です。師匠の隣りに居て師匠の口から真実を聞いたのは私だけだったのです。何故ならば、しっかりとした根拠があります。私は先程も組織のNo.2からNo.4までがポンコツだったと語りましたよね。まずエレガンスの現場に入らされたNo.2とクビになった本人であるNo.3は師匠に本音は語って貰えない立場でした。そしてNo.4は師匠の店の店長でしたがこの人もポンコツなのです。その根拠もきっちりとあります。売り上げを抜いているのを全員にバレていましたからね。まあ、その前に私が初めてこの組織に入って配属になったピンサロを、私が入る前に飛んでいた人ですからね。当時のポンコツっぷりもその頃のお店の店員さんに聞いています。その中抜きの件でこのNo.4も師匠に本音を語って貰えなかったのです。後から思い返してみると師匠はこの時は孤独に闘っていたのです。そこに直接の弟子だった私が戻りたいとコンタクトを取って来たので、私は即決で戻れたのです。そして、色々と真実を教えて貰うに至ったのです。このNo.3さんは組織の経理を担当している人間で本来であれば師匠の信頼を一番勝ち取っていても不思議では無い人間です。しかし、このNo.3さんは極度のコミュ障であり思い込みが激しすぎる人間なのです。この2つの欠点が要因となり、No.3さんは現場に出て僅かしか経っていないのに命取りになってしまいます。現場を仕切る資質の全く無い人間に現場をやらせている事に問題があります。この配属自体が肩叩きと云う事でしかありません。この立ち位置が上手く行く事が無いのを一番知っているのが師匠だからです。そして師匠とNo.3が営業上の話しをする事も無く早々とぶつかり関係性が壊れたに過ぎないのでしょう。何も言う事を聞かないから喫茶店に呼び出してクビにしたと師匠から私は聞きました。ここで一つ疑問があります。周りも周りだなと思うのです。自分らもNo.3さんが現場を仕切るのは絶対に無理って知ってた筈だよな?と思うのです。何故、誰も配属前に師匠にその問題点を指摘して本気で止めていないのかが不思議です。ライバルを蹴落としたかったからか、何も見えていないかの二択でしょう。私は現場に居なくとも、どうやって師匠とNo.3さんの関係に歪みが出来たか分かりますよ。人間関係は上手く立ち回っていた私だから正解も不正解も分かります。どちらにせよNo.3さんは風俗をやる人材の中では馬鹿では無かっただけに、師匠との人間関係を崩させてしまった周囲の人間に腹立たしさを感じますね。そのNo.3さんの後釜として急遽入って来たバイトさんはさらに使えない人だったのが、それを物語っていたと思いますよ。何せお客様にソフトSMとお店は謳っていたのですが、ソフトとハードの違いは何ですか?とお客様に質問された解答が凄い。ソフトはハードよりソフトなんです。って答えたらしいです。何も理解していないからお客様に答えは語れませんし、詳しい者に代わりますとも言ってないのです。それはポンコツの極みでしょう。このバイトさんも使いモノにはなりませんので、私の加入が決まった瞬間に切られてしまったのです。そして、組織のNo.2さんもポンコツです。これはグループの全ての人間が知っている事ではありました。しかし、このNo.2さんは師匠の昔の友達なのです。何故、昔の友達と云う表現になっているかと言いますと、このグループにいる間に何度も小さな中抜きをしているのを師匠にバレていたので友達では無くなっていたのです。しかし、この友人であったNo.2さんが箱モノの用意や店舗の人材の確保等を行っていたので、クビを切る事は出来なかったのです。それでも、No.2さんは現場に出てしまうとポンコツでしかありません。要はNo.2さんとNo.3さんは偉そうに踏ん反り返る事に関しては一人前であり、現場の知識と実績ではポンコツと云う話しです。こうやってお店の現場はNo.2さんとポンコツバイトさんがいるので、グループの長である筈の師匠が孤軍奮闘で動かざる得なかったのです。そして、キャストさん側で見てもお店の在籍は女王様が一人のみです。それ以外は助っ人組なので、お店側の人間ではありません。そして、この女王様のポンコツっぷりもなかなかなのです。そもそも40代ですし、私がいつも言っている所の口無し脱ぎ無し風呂無しのサービス地雷なのです。駅送迎のお客様が一緒に車に乗った瞬間に用事を思い出したと言って死に物狂いに逃げ出してしまう程のポンコツっぷりが笑えます。この状況でお店が進化する事は絶対にありません。寧ろ退化してしまうだけでしょう。気になるのは、その現実に危機感を抱きながら働いているのは実際にお金を失い続けている師匠のみだった事です。師匠には四面楚歌で大変でしたねとは声を掛けていませんが、当時からそんな感覚を持っていました。そして急降下して行くお店に私は戻る事となり、それでも僅か3ヶ月程で再び上昇気流にお店を乗せたのです。閉店危機を私が救った事になりますね。この時と第二期の始まりと第三期の始まり、このお店だけで3回閉店回避の仕事を私は手掛けていますね。正確にはどのピンチ時も仲間は居ましたので、私一人の力ではありません。それから過去にも厚木USAの新規立ち上げと厚木スキャンダルのリニューアルとピンサロ2店舗のオープンに私は立ち会っているのです。厚木USAの立ち上げは師匠と私の共同作業で私はあまり活躍してはいません。縁の下の力持ち役を務めながらスキルを学んでいたのです。USA以外はほぼ私が大車輪役を務めました。その経験は、立ち上げに関しては特にグループの他の人間を圧倒するスキルとなっていたと思い返しています。私に取ってもかけがえの無い経験でしたから師匠は感謝しかありません。それにしても、エレガンスはオープン直後なのに転けるとは情け無い話しです。それが、No.2さんとNo.3さんの実力だったと云う事です。しかもキャストさんのスカウト能力まで全く無いのですからどうにもなりませんね。腹を痛めていた金主の師匠だけが責任ある行動を取っていたとなりますね。これが、最初の9ヶ月間の真実です。
次回のコラムは今回の話しから約半年後に起こった何それ珍百景のお話しになります。
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※2025年02月08日09時34分
創戯旅団コラムでも、まだまだ過去の面白ネタは語り尽くしてはいません。それこそお店は14年間も営業をしているのですから、僅かコラム72話で何を語れるのかとなります。その中でもエレガンスが新規開店してから私が合流する迄に9か月あったのですが、その期間の事を詳しく語れていませんでしたね。言わば空白の9か月になってます。そんな訳で今回はその9か月の間に何が起きていたかを語りましょう。私が直接目視したのではありませんから、あくまで師匠から聞いた師匠目線の話しです。しかし、これが意外にも重要な情報が詰まっているのです。ですから、近場の同業者や関係のある広告代理店や身内からしたらマジでという話しが沢山出てくるでしょぅ。そこら辺の裏事情など知る由もない読者様には何のこっちゃとなるので、半分は身内ネタでもあります。しかし、私は師匠本人の本音を聞いてしまっている以上は、私の身近にいる人々に取って危険な情報でしょうね。結構、爆弾ネタの宝庫なんですよ。私的には腹を抱えて大笑いですが、人によっては顔が青ざめるのは確実です。それでは、エレガンス劇場黎明期編開幕です。
私のエレガンスに合流する迄の話しをした中で少しだけこの時期の話しに触れていましたね。そして、香ばしい匂いがする話しを伏せて、敢えて後日に話しますと読者様とは約束しましたね。まずは、いきなりその一部確信の部分から話しは始まります。エレガンスが出来るきっかけとなったのは2つの理由からでした。まず1つ目の理由は師匠がSMクラブ好きであり、過去に1回だったか2回はSMクラブの営業にトライして挫折していた事です。ここの1回か2回と表現しているのには理由があります。その1回目と2回目が分離しているのか同一店舗なのかが、今となっては判らんくなってしまったので、どちらかと云う表現なのであります。そこら辺の過去の話しは師匠に聞けば話してくれたと思いますが、過去の話しに私が興味を持っていなかったのと、師匠も自分の失敗談を率先して語る事はありませんでしたので聞きそびれてしまったのです。そんな理由から派遣型SMクラブに再トライしていたのです。師匠は失敗したままで終わりたく無かったのでしょう。最初のトライはデリヘル業界創世記の頃の話しになるので、2010年よりも5年以上は前の話しです。師匠はその失敗が余程悔しかったのでしょうね。そして二つ目の理由。これが、どうにも私的には面白過ぎたのです。当時、師匠のお店には3人のお荷物が居ました。私的には面白くても、師匠的には最悪だった話しです。何故ならば、偉い方から順番に3人がよりによってポンコツなのですよ。本人達はそんな事無いと否定するでしょうが、師匠はお荷物と評価していました。しかも全然仕事すらしていないのが2人も居るとなったらしく、その2人に現場の仕事をさせるつもりで、一つ目の理由と合わせエレガンスを開ける事を決意したそうです。それが2010年の後半の話しでした。そしてスタートの時期を2010年12月に合わせて新規開店したのです。女王様が3人とそれ以外にも師匠の店から5人がヘルプで手伝っていました。とは言え立ち上げは厳しい船出になりました。兎に角お客様は少ないですし新規の電話も鳴らないのです。キャストさんの頭数は揃っているのに電話の鳴りが足りないのですから崩れるキャストさんも出て来ます。若い女王様2名が掛け持ちをしだしたので、まずはクビになったそうです。クビになった理由は厚木のデリヘルで掛け持ちをしていた事だそうです。それは流石に師匠的には裏切りに思えたらしくクビにしたと言っていました。そしてあの関東人に取って最悪な1日を迎えます。3.11東日本大震災です。コレがまた大きなダメージとなります。この時には師匠のお店から1人だけ完全移籍して来ていたのでM女1名、女王様1名、ヘルプ4名の布陣で何とか凌いでいましたが、指名客を増やせていません。少しずつお客様は減少傾向にありました。当時のウチのお店の体力がひ弱であった事と東日本大震災で人々が貧困になり精神的に参っていたのが重なり、ダメージが早くも表面に出ていました。その中で師匠のお店からエレガンスに在籍を変更していたM女さんが飛んでしまいます。この方は、後で判明するのですがウチを飛んで川崎のソープランドに行っていたらしいです。そうなると、いよいよエレガンスの純粋な在籍は1人になってしまったのです。募集は継続して打っていましたが反響はありませんでした。このキャストさんの離反辺りが崩れ行く前兆だったのでしょう。
2011年の5月~8月くらいまでがエレガンスに取っては、最初の正念場を迎えた時期になりました。ここを乗り越えなければ、お店が軌道に乗らないままに閉店を迎える最悪の結末を迎えてしまうでしょう。まず転機となったのがエレガンスに配属になっていた組織のNo.3がクビになった事です。え?この人でもクビになるんだ?って程の大幹部だったのです。私も後から事の顛末を聞いてマジかと思いました。そして、実際には何があったの?と知りたい関係者も沢山居ますよね。グループ内の店舗側男性スタッフ、送りなんかをやって貰った事があるキャストさん。続いている人も居れば辞めてる人も居ますがウチの関係者は何で?と思っていた事でしょう。そして、周りの近しい同業者諸君も真実を知らなかったでしょうね。この事実はある1名の人間からしか広がらなかった筈なのですが、そちらもクビ候補でしたし、仮に切られた本人から話しを聞いた人間が居たとしても、本人が一番現実を見えていない事案であった事は明白です。師匠の隣りに居て師匠の口から真実を聞いたのは私だけだったのです。何故ならば、しっかりとした根拠があります。私は先程も組織のNo.2からNo.4までがポンコツだったと語りましたよね。まずエレガンスの現場に入らされたNo.2とクビになった本人であるNo.3は師匠に本音は語って貰えない立場でした。そしてNo.4は師匠の店の店長でしたがこの人もポンコツなのです。その根拠もきっちりとあります。売り上げを抜いているのを全員にバレていましたからね。まあ、その前に私が初めてこの組織に入って配属になったピンサロを、私が入る前に飛んでいた人ですからね。当時のポンコツっぷりもその頃のお店の店員さんに聞いています。その中抜きの件でこのNo.4も師匠に本音を語って貰えなかったのです。後から思い返してみると師匠はこの時は孤独に闘っていたのです。そこに直接の弟子だった私が戻りたいとコンタクトを取って来たので、私は即決で戻れたのです。そして、色々と真実を教えて貰うに至ったのです。このNo.3さんは組織の経理を担当している人間で本来であれば師匠の信頼を一番勝ち取っていても不思議では無い人間です。しかし、このNo.3さんは極度のコミュ障であり思い込みが激しすぎる人間なのです。この2つの欠点が要因となり、No.3さんは現場に出て僅かしか経っていないのに命取りになってしまいます。現場を仕切る資質の全く無い人間に現場をやらせている事に問題があります。この配属自体が肩叩きと云う事でしかありません。この立ち位置が上手く行く事が無いのを一番知っているのが師匠だからです。そして師匠とNo.3が営業上の話しをする事も無く早々とぶつかり関係性が壊れたに過ぎないのでしょう。何も言う事を聞かないから喫茶店に呼び出してクビにしたと師匠から私は聞きました。ここで一つ疑問があります。周りも周りだなと思うのです。自分らもNo.3さんが現場を仕切るのは絶対に無理って知ってた筈だよな?と思うのです。何故、誰も配属前に師匠にその問題点を指摘して本気で止めていないのかが不思議です。ライバルを蹴落としたかったからか、何も見えていないかの二択でしょう。私は現場に居なくとも、どうやって師匠とNo.3さんの関係に歪みが出来たか分かりますよ。人間関係は上手く立ち回っていた私だから正解も不正解も分かります。どちらにせよNo.3さんは風俗をやる人材の中では馬鹿では無かっただけに、師匠との人間関係を崩させてしまった周囲の人間に腹立たしさを感じますね。そのNo.3さんの後釜として急遽入って来たバイトさんはさらに使えない人だったのが、それを物語っていたと思いますよ。何せお客様にソフトSMとお店は謳っていたのですが、ソフトとハードの違いは何ですか?とお客様に質問された解答が凄い。ソフトはハードよりソフトなんです。って答えたらしいです。何も理解していないからお客様に答えは語れませんし、詳しい者に代わりますとも言ってないのです。それはポンコツの極みでしょう。このバイトさんも使いモノにはなりませんので、私の加入が決まった瞬間に切られてしまったのです。そして、組織のNo.2さんもポンコツです。これはグループの全ての人間が知っている事ではありました。しかし、このNo.2さんは師匠の昔の友達なのです。何故、昔の友達と云う表現になっているかと言いますと、このグループにいる間に何度も小さな中抜きをしているのを師匠にバレていたので友達では無くなっていたのです。しかし、この友人であったNo.2さんが箱モノの用意や店舗の人材の確保等を行っていたので、クビを切る事は出来なかったのです。それでも、No.2さんは現場に出てしまうとポンコツでしかありません。要はNo.2さんとNo.3さんは偉そうに踏ん反り返る事に関しては一人前であり、現場の知識と実績ではポンコツと云う話しです。こうやってお店の現場はNo.2さんとポンコツバイトさんがいるので、グループの長である筈の師匠が孤軍奮闘で動かざる得なかったのです。そして、キャストさん側で見てもお店の在籍は女王様が一人のみです。それ以外は助っ人組なので、お店側の人間ではありません。そして、この女王様のポンコツっぷりもなかなかなのです。そもそも40代ですし、私がいつも言っている所の口無し脱ぎ無し風呂無しのサービス地雷なのです。駅送迎のお客様が一緒に車に乗った瞬間に用事を思い出したと言って死に物狂いに逃げ出してしまう程のポンコツっぷりが笑えます。この状況でお店が進化する事は絶対にありません。寧ろ退化してしまうだけでしょう。気になるのは、その現実に危機感を抱きながら働いているのは実際にお金を失い続けている師匠のみだった事です。師匠には四面楚歌で大変でしたねとは声を掛けていませんが、当時からそんな感覚を持っていました。そして急降下して行くお店に私は戻る事となり、それでも僅か3ヶ月程で再び上昇気流にお店を乗せたのです。閉店危機を私が救った事になりますね。この時と第二期の始まりと第三期の始まり、このお店だけで3回閉店回避の仕事を私は手掛けていますね。正確にはどのピンチ時も仲間は居ましたので、私一人の力ではありません。それから過去にも厚木USAの新規立ち上げと厚木スキャンダルのリニューアルとピンサロ2店舗のオープンに私は立ち会っているのです。厚木USAの立ち上げは師匠と私の共同作業で私はあまり活躍してはいません。縁の下の力持ち役を務めながらスキルを学んでいたのです。USA以外はほぼ私が大車輪役を務めました。その経験は、立ち上げに関しては特にグループの他の人間を圧倒するスキルとなっていたと思い返しています。私に取ってもかけがえの無い経験でしたから師匠は感謝しかありません。それにしても、エレガンスはオープン直後なのに転けるとは情け無い話しです。それが、No.2さんとNo.3さんの実力だったと云う事です。しかもキャストさんのスカウト能力まで全く無いのですからどうにもなりませんね。腹を痛めていた金主の師匠だけが責任ある行動を取っていたとなりますね。これが、最初の9ヶ月間の真実です。
次回のコラムは今回の話しから約半年後に起こった何それ珍百景のお話しになります。
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