南極越冬隊のお話の続き
あの時代、1950年代の話だから
素材も限られていて、上半身は
石膏のマネキン人形,下半身はソフトな材質で脚が無い。
ムンクの叫び様に開いた口はいかにも間抜け顔で、零下15度、
人魚の下半身を温めるお湯を4リットル沸かす時間、そして後始末を考えると、、、
オナニーで十分だろう。
結果、
基地に連れて行った性具人形は
処女のまま隊員たちと日本にかえることになる。
一方で、
2体作った内のもう一体は、
南極に隊員を送り届ける観測船「宗谷」の倉庫に置いたまま、
日本の港に帰っていたが、
人目のつかない倉庫で、
誰かがこっそり使用して、
後始末もしなかったため
「局部が腐敗して臭くて困ったからぶん投げた」と書いていた。
後に発案者は「老婆心からの1つの失敗で慙愧(ざんき)に耐えない」と回顧している。
この人形は、以後 作られていないが・・・下世話なメディアは
「南極1号」と名づけ虚実交えた話は広まっていく。
結果的にダッチワイフの開発が進む契機をつくりだし
公然と日本で流通し始めるのは、1960年代も半ば以降である。
続く