行間を読むのではなく、行間を探るのが好きだ。
書かれた言葉よりも、その言葉の後に続かなかった何か、
書かれなかった余白の部分にこそ、
人の癖や、感情の揺れが滲む気がする。
文章というのは整っている。
だが、整っているからこそ、整えきれなかったものが目立つ。
行と行の間に宿るのは、
選ばれなかった語、言いかけてやめた思考、
そしてその人の「ためらい」や「間」である。
沈黙が雄弁であるように、
行間もまた多くを語っている。
明確な意味ではなく、微かな手触りとして。
表現されなかったものにこそ、
人は真実らしきものを感じ取るのかもしれない。
だから私は、文章を読むとき、
意味よりもまず、行間に耳を澄ませてしまう。