こんな時間にすみません。
うのきちの吐露日記
めちゃくちゃ長くなる自信があるので
苦手な方はここで
ブラウザバックをオススメします。
。.ꕤꕤ.。
13年前の今日
生まれて初めて
リアルな「戦争」を目にしました。
毎年書くけど
たまたまあの日
パパとママが大喧嘩中で
ママはうのの部屋にお布団敷いて寝てて
夜のニュースで
1機目の飛行機が
大きなビルに突っ込んでいく
あの映像を目にして
「ママ、ニュースなのに
映画の予告やってるよ」
って言って
「そんな訳無いでしょ!」
って怒られたのを覚えています。
そしてここから初出し情報。
実は世界貿易センタービルで
うのの遠い親戚のお姉ちゃんが
働いていました。
今は亡きうのの兄(以下兄B)も
(ツインズのパパです)
わざわざママの居るうのの部屋まで来て
「なぁ、ちゃんは
ワートレで働いてんだから
巻き込まれてないよな」って。
ママと今も生きてる兄が(以下兄A)
「世界貿易センターの事
ワートレって呼ぶんだよ!」
ってめちゃくちゃ吠えてた。
ふと視線をテレビに戻すと
テレビの向こう側で
祖父母から聞いていた
「戦争」が行われていた。
逃げ惑う人々。
宙を舞う粉塵。
今でも鮮明に覚えています。
速攻兄Aは外務省に連絡して
お姉ちゃんの名前、働いていた会社名と
部署名を伝えて
そしてなにより
お姉ちゃんは無事なのかと
それだけを案じていました。
「外務省がダメなら
アメリカの日本大使館は?」
うのがそう言うと
また兄Aが電話の元に走る。
結論、日本大使館には
電話が繋がらなかったんですが
その時までうのは「お姉ちゃん、早く逃げて」
と、それしか考えられなかった。
一機目が突っ込んだのは北棟(ノースタワー)
お姉ちゃんは南棟(サウスタワー)で
働いていたので
「お姉ちゃん逃げて」早く逃げてよ
来月のうののお誕生日に
帰ってくるって約束したじゃん!
なんて思えてたのは
2機目の飛行機がサウスタワーに突っ込んで
が正にガラガラと音を立てて
崩れて行ったその瞬間まで。
大好きだったお姉ちゃん。
子供ながらに
あ、コレはもうダメだって思いました。
うのは双子の兄と男の4人兄弟。
「お姉ちゃんが欲しかった」
そう愚図る私に
「ちゃん(←うのの本名)
お姉ちゃんは私だよ」
って言ってくれる様な優しい人。
ブラックボックスでしか確認が出来ないけど
愛する人に別れを告げて
唯一地上での被害者を出さなかった
ユナイテッド93便の乗客の方
客室乗務員の方。
どれだけ怖かったんだろう。
どれだけ勇気を出したんだろう。
やっぱり人間て凄い。
団結して
コックピットへ力技で乗り込んだ
パッセンジャーの皆様。
当たり前に
こんな事二度と起きないで欲しいし
起こしちゃ駄目。
あの後すぐ
ママは遠縁の親戚のお家に行って
しばらく帰って来なかった。
そして数ヶ月後、お姉ちゃんの葬儀は
棺桶のみで取り仕切られました。
うのはその時初めて
お姉ちゃんのお腹に
新たな生命を授かってた事を知りました。
安定期に入ったら
日本に帰ってくる予定で
その時に自分で言うって聞かなくて
お姉ちゃんのお母さんが
1点を見つめて涙を零しながら
言った言葉です。
英語でご遺体のこと
「BODY」って言うんです。
正に身体。
きっとそこに魂や気持ちが無いから
身体だけだから
そう呼ぶのかもしれません。
そんな言葉
無闇に使いたくない。
今、こんなちっぽけな自分が出来ること
それは
あのテロを、戦争を、自然災害を
風化させない為に
こうして皆様に知って頂く事。
うのはジャーナリストでも
記者でも無いけと
この日記というツールで
情報発信が出来るから。
それは業界的には
日記の使い方としては
間違ってるのかもしれない。
それでもうのは
宇野さんで居る限り
経験や体験、そして想いを
書き続けようと思います。
ね、やっぱり長文ですわ!
あの日BODYと呼ばれた
3000人近くの方々と
その方々が愛した人の心の傷が
少しでも早く
カサブタになることを祈ります。
このテロがあったから
うのは予定していた留学に行けなかった。
パパが「絶対行かせない」って。
でも、今楽しく生きてるよ!
たまに「うのちゃん英語喋れるんだね」
って言われると凄く嬉しい。
お姉ちゃんへ
あと数年でお姉ちゃんの年齢を
私は追い越します。
お姉ちゃんが
やりたくても出来なかった事
全部教えて欲しい。
代わりにうのが、それ全部引き受けるから
だからせめて今夜くらいは
おばちゃんの夢にでも出てあげてよ。
多分うのがそっちに行くのは
もう少し時間がかかるけど
大好きなお姉ちゃん。
待っててね!
あ、そういや兄Bと、兄B嫁
そっちの世界に居るからさ
子供たちは大丈夫だよって
伝えてね。
ではではドロン。
こんな長文読んで下さり
本当にありがとうございました。
うの
うのきちの吐露日記
めちゃくちゃ長くなる自信があるので
苦手な方はここで
ブラウザバックをオススメします。
。.ꕤꕤ.。
13年前の今日
生まれて初めて
リアルな「戦争」を目にしました。
毎年書くけど
たまたまあの日
パパとママが大喧嘩中で
ママはうのの部屋にお布団敷いて寝てて
夜のニュースで
1機目の飛行機が
大きなビルに突っ込んでいく
あの映像を目にして
「ママ、ニュースなのに
映画の予告やってるよ」
って言って
「そんな訳無いでしょ!」
って怒られたのを覚えています。
そしてここから初出し情報。
実は世界貿易センタービルで
うのの遠い親戚のお姉ちゃんが
働いていました。
今は亡きうのの兄(以下兄B)も
(ツインズのパパです)
わざわざママの居るうのの部屋まで来て
「なぁ、ちゃんは
ワートレで働いてんだから
巻き込まれてないよな」って。
ママと今も生きてる兄が(以下兄A)
「世界貿易センターの事
ワートレって呼ぶんだよ!」
ってめちゃくちゃ吠えてた。
ふと視線をテレビに戻すと
テレビの向こう側で
祖父母から聞いていた
「戦争」が行われていた。
逃げ惑う人々。
宙を舞う粉塵。
今でも鮮明に覚えています。
速攻兄Aは外務省に連絡して
お姉ちゃんの名前、働いていた会社名と
部署名を伝えて
そしてなにより
お姉ちゃんは無事なのかと
それだけを案じていました。
「外務省がダメなら
アメリカの日本大使館は?」
うのがそう言うと
また兄Aが電話の元に走る。
結論、日本大使館には
電話が繋がらなかったんですが
その時までうのは「お姉ちゃん、早く逃げて」
と、それしか考えられなかった。
一機目が突っ込んだのは北棟(ノースタワー)
お姉ちゃんは南棟(サウスタワー)で
働いていたので
「お姉ちゃん逃げて」早く逃げてよ
来月のうののお誕生日に
帰ってくるって約束したじゃん!
なんて思えてたのは
2機目の飛行機がサウスタワーに突っ込んで
が正にガラガラと音を立てて
崩れて行ったその瞬間まで。
大好きだったお姉ちゃん。
子供ながらに
あ、コレはもうダメだって思いました。
うのは双子の兄と男の4人兄弟。
「お姉ちゃんが欲しかった」
そう愚図る私に
「ちゃん(←うのの本名)
お姉ちゃんは私だよ」
って言ってくれる様な優しい人。
ブラックボックスでしか確認が出来ないけど
愛する人に別れを告げて
唯一地上での被害者を出さなかった
ユナイテッド93便の乗客の方
客室乗務員の方。
どれだけ怖かったんだろう。
どれだけ勇気を出したんだろう。
やっぱり人間て凄い。
団結して
コックピットへ力技で乗り込んだ
パッセンジャーの皆様。
当たり前に
こんな事二度と起きないで欲しいし
起こしちゃ駄目。
あの後すぐ
ママは遠縁の親戚のお家に行って
しばらく帰って来なかった。
そして数ヶ月後、お姉ちゃんの葬儀は
棺桶のみで取り仕切られました。
うのはその時初めて
お姉ちゃんのお腹に
新たな生命を授かってた事を知りました。
安定期に入ったら
日本に帰ってくる予定で
その時に自分で言うって聞かなくて
お姉ちゃんのお母さんが
1点を見つめて涙を零しながら
言った言葉です。
英語でご遺体のこと
「BODY」って言うんです。
正に身体。
きっとそこに魂や気持ちが無いから
身体だけだから
そう呼ぶのかもしれません。
そんな言葉
無闇に使いたくない。
今、こんなちっぽけな自分が出来ること
それは
あのテロを、戦争を、自然災害を
風化させない為に
こうして皆様に知って頂く事。
うのはジャーナリストでも
記者でも無いけと
この日記というツールで
情報発信が出来るから。
それは業界的には
日記の使い方としては
間違ってるのかもしれない。
それでもうのは
宇野さんで居る限り
経験や体験、そして想いを
書き続けようと思います。
ね、やっぱり長文ですわ!
あの日BODYと呼ばれた
3000人近くの方々と
その方々が愛した人の心の傷が
少しでも早く
カサブタになることを祈ります。
このテロがあったから
うのは予定していた留学に行けなかった。
パパが「絶対行かせない」って。
でも、今楽しく生きてるよ!
たまに「うのちゃん英語喋れるんだね」
って言われると凄く嬉しい。
お姉ちゃんへ
あと数年でお姉ちゃんの年齢を
私は追い越します。
お姉ちゃんが
やりたくても出来なかった事
全部教えて欲しい。
代わりにうのが、それ全部引き受けるから
だからせめて今夜くらいは
おばちゃんの夢にでも出てあげてよ。
多分うのがそっちに行くのは
もう少し時間がかかるけど
大好きなお姉ちゃん。
待っててね!
あ、そういや兄Bと、兄B嫁
そっちの世界に居るからさ
子供たちは大丈夫だよって
伝えてね。
ではではドロン。
こんな長文読んで下さり
本当にありがとうございました。
うの