内田樹の研究室
「非人情だけど親切な人」
http://blog.tatsuru.com/2024/11/11_1902.html
内田さんはある支援事業に関わっています。
ブログではその事業に内田さんが誘われた意義について考察していました。
困っている人を助けることができるのは
「情に篤い人」
「優しい人」
「想像力や共感力の高い人」?
内田さんは自身をそれに当てはまっていないと言います。
内田さんは自分を「非人情だけど親切な人」だと認識していて、それで良いと思っているそうです。
「人情に篤くてかつ親切な人」の方がずっと良いけれど、そうでなくても人助けはできるから。
情に篤くなくてもお腹が空いた人にご飯を与えることはできるし、宿のない人に一夜の宿を与えることはできます。
ブログでは、
この支援事業の最大の功績は「いい人であることは支援のための条件じゃない」という知見を教えたことだと思う
と締めていました。
私は、むしろ内田さんのように人情に篤くなく共感性もない人の方が社会から求められているのではないかと思いました。
私は自分をどちらかというと「人情に篤くてかつ親切な人」だと思いました。
私は多分お腹が空いた人がいたら、
お腹が空いていてどれだけ辛いだろうとかどうしてそうなってしまったんだろうとか考えなくて良いことまで想像し、
「心を込めておいしいご飯を作らなくちゃ!」
と無駄に意気込むと思います。
そのために丁寧に材料を切って、鍋を混ぜるたびにおいしくなるように、お腹が満たされるようにと願いながら作ると思います。
でもそれってお腹が空いて今すぐにでもご飯がほしい人にとっては必ずしも必要ではないことかもしれません。
それこそ内田さんのように空腹の人の心に共感できなくても機械的にご飯を器に盛ってすぐに出した方が良い場合が社会では多いんだと思います。
私は、会社員をしていた頃、優しさや思いやりは弱さになって、誰かから強く責められる原因になると知って、無力感に襲われたのを思い出しました。
内田さんは、
「いい人」でなくても支援事業を手伝うことはできると言います。
でも、私はそれならきっと「いい人」であっても何かに貢献することができるんだと信じたいです。
優しさや思いやりを弱さとして切り捨てられない場所がどこかにあるんだと思いたいです。
私は私が貢献できる場所を探したい。
そしてそれが今いるこの場所だったらすごく良いのにと思いました。
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出勤予定
いつも写メ日記を見て下さったり、予約を検討して下さり、ありがとうございます。
12月はお休みです。
また1月から出勤するので、その際はよろしくお願いします()⁾⁾
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୨୧大喜利୨୧
こんなデリへルの送迎車はいやだ。どんな?
車内に流れてる音楽が横浜銀蝿
(私のいるお店は電車移動なのですが、車移動のお店もあるみたいなので想像して書いてみました)