私には気の強い、しっかり者のおばあちゃんがいた。
身長が高くなって気にしていた思春期の私に
「あんた、でかいわねぇ」
と言ってくるおばあちゃんだった。
看護師の仕事が大好きで
老後もバリバリ働いてたし
「世界一周に行ってくる」と言ってしばらく帰ってこなかったり
友だちとのカラオケにハマって通いつめてたり
いつもパワフルだった。
私が二十歳になったとき、成人のお祝いのお金をくれた。
その後また会ったとき、お祝いのお金をもう一度くれた。
「おばあちゃん、前ももらったよ?またくれるの?」
って私は笑ってちょっとからかった。
おばあちゃんは
「あれ~あぶない、お金いっぱいとられちゃうところだった」
って笑ってこたえた。
その頃からおばあちゃんの家には、あちこちに
『〇月〇日●●さん14:00』
などの手書きのメモがたくさん貼られ始めた。
テレビで紹介される、認知症予防の食べ物をずっと食べるようになった。
「ボケないようにしないと」
が口ぐせになった。
何かを書くことでボケるのを防止できると聞いてから
一人暮らしをしていた私は、おばあちゃんと手紙のやりとりを始めた。
初めは整った字だったし、ちゃんと郵便で届いた。
でも、だんだん読めない字になって
漢字が減って
ひらがなとカタカナが混じるようになって
いつも同じことばっかり書いてて
住所もちゃんと書けないから郵便に出せなくて
代わりにお母さんが持ってくるようになった。
そうやって認知症はどんどん進行していって
おばあちゃんは私のことも誰なのかわからなくなって
「おばあちゃん元気~?」
って言っても
よそよそしく愛想笑いをして
会釈を返してくるようになった。
しゃべることも食べることもトイレの仕方も忘れてしまった。
「もう数か月ももたないだろう」
と言われた頃私は結婚が決まり、結婚相手を連れておばあちゃんに会いに行った。
コロナで面会できなくなり、数年ぶりの再会だった。
いつもは、ほとんど目をとじて
寝たまま、反応もしないと聞いていたけど
私が会いに行ったときには目を開けて起きてくれた。
「おばあちゃん、私結婚するよ」
「来月結婚式だよ」
「来年には子どもも生まれるよ」
「だからもう少し頑張ってよ」
って耳元で何回も声をかけた。
何年も前から
私のことが誰なのかわからなくなっていたはずのおばあちゃんは
まばたきが早くなって
首を縦に振って何度もうなずいて声を出してくれた。
おばあちゃんの娘である私のお母さんは
「こんなに反応するなんて」
ってポロポロ泣いていた。
私も泣きながら声をかけ続けた。
その1週間後、おばあちゃんは亡くなった。
「結婚式も赤ちゃんも、天国からもっとそばで見守ることにしたんやね」
ってお母さんは言った。
結婚式にはおばあちゃんの席も用意した。
昔ずっとやりとりしていた手紙に、いつも
「**ちゃんが結婚するの楽しみだなァ」
って同じことばっかり書いていたおばあちゃん。
遅くなったけど
おばあちゃんに報告できるのを待っててくれたんかなって思う。
最後までしっかり者のおばあちゃんだった。
ありがとう
まゆみ
大人の色気ムンムン
55歳/T154cm/B98(H)-W78-H91
受付終了14:00~22:00
まゆみ
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