普段は風俗サイトをあまりご覧にならない方もチェックして下さる時期なので
ミキの思う、他人だからこそ与えられる、受け取れるもの
について書いてみたいと思います。
去年書いたことがありますが、久しぶりにまた「マリヤの円光」投下します。
以下、日本の文豪・太宰治の『人間失格』に出て来る、主人公が淫売婦のことを書いた一節です。
自分には、淫売婦というものが、人間でも、女性でもない、白痴か狂人のように見え、そのふところの中で、自分はかえって全く安心して、ぐっすり眠る事が出来ました。みんな、哀しいくらい、実にみじんも慾というものが無いのでした。そうして、自分に、同類の親和感とでもいったようなものを覚えるのか、自分は、いつも、その淫売婦たちから、窮屈でない程度の自然の好意を示されました。何の打算も無い好意、押し売りでは無い好意、二度と来ないかも知れぬひとへの好意、自分には、その白痴か狂人の淫売婦たちに、マリヤの円光を現実に見た夜もあったのです。
最初に読んだのはこの業界には1ミリも関わりのない人生を送っていた頃でしたが、この一説に強烈に引き込まれてしまいました。もしかしたら風俗という世界に興味を持った入り口はここだったのかも知れません。
特別な関係だからではなく 仮初の関係だからこそ生まれる心地良さ、気負いのなさ、執着のなさ、のようなものに、何故かものすごく、いいな、素敵だなと感じました。
私の憧れたこの一節に近い、他人だからこその心地良さも、風俗の魅力のひとつだな、と実際に風俗キャストになった今も感じています
マリヤの円光まではさすがに出せないかもしれませんが(笑)あなたにも風俗だからこその安らぎを受け取っていただけますように