おはようございます
公園の桜の蕾が
緑色に膨らみ始めました
本日も
ごご予約してくださった殿方様
ありがとうございます
お逢い出来る瞬間を
楽しみにお待ちしておりますので
お気をつけていらしてくださいませ
まだ14時から 空きがございます
お時間が合いましたら
ぜひ逢いに来てくださいね
今日も皆さまのお越しを
元気にお待ちしております
先日
なにげに
大河ドラマ『 光る君へ 』の
相関図を見ていたら
佐々木蔵之介さんが
吉高由里子さん(まひろ)の
夫 になっていて
wikiにもちゃんと
配偶者: 藤原宣孝さん(1001年まで)
と書かれてあるのを
見落としてました
ドラマが始まった時に
夫が早くに亡くなったというのは
読んでいたのですが
名前まではちゃんと
チェックしていなかったです
紫式部さんは20代なかば過ぎの
998年頃
山城守となっていた
藤原宣孝さんと結婚し
999年 賢子(大弐三位)さんを
出産します
結婚から3年ほどの
1001年に夫が死去し
1002年頃から『 源氏物語 』を
書き始めます
1005年頃に評判を聞いた
藤原道長さんに召し出され
道長さんの娘で
一条天皇の中宮 彰子さんに仕える間に
道長さんの支援のもと
『 源氏物語 』を完成させるそうです
ちなみに
藤原道長さんが
左大臣の源雅信さんの娘 倫子さんと
結婚するのは987年となっているので
しばらくまひろは
独り身だったようですね
(ドラマでは今ここ)
そして
佐々木蔵之介さんは
そんなに早く死んじゃうのね
もともと親子ほど歳が離れて なので
しかたがないのかもしれません
紫式部さんが
夫の死に伴い詠んだ和歌が
見し人の
けぶりとなりし
夕べより
名ぞむつましき
塩釜の浦
荼毘に付されて
煙となって消えてしまった夕べから
陸奥国の塩釜の浦でたなびくという
塩焼きの煙までもが
懐かしいと思えてしまう
「 荼毘に付す 」は
「 だびにふす 」と読み
日本では「 火葬すること 」を
意味しています
悲しい歌ですね
2人の間に愛があったんだなぁと
感じます
そして娘の
藤原賢子さん
(大弐三位 だいにのさんみ)は
平安時代中期の女流歌人で
女房三十六歌仙そして
百人一首の歌人として
知られています
今後の展開を
早く観たいですね
それでは
今日も一日、皆さまにとって
良い日となりますように
ありす(*人