3人がまだ一緒に暮らしてた頃インドネシア人の父は仕事が忙しく殆ど家にいませんでしたが、長期休暇があると必ずどこかへ連れて行ってくれました。父の実家からバリ島が近かったので、私が子供の頃はゲゲールビーチで海を長めながら『海は世界中と繋がっているんだよ。寂しい事や辛い事があったら海を眺めてごらん。きっと海は優しいから。。』と、父は私に教えてくれました。
中国人の母はとても綺麗な人でした。横浜で暮らしてた頃、この時期になるとお祭りが沢山あるのですが母は幼い私に毎年浴衣を着せてくれました。お気に入りは白い生地に金魚の絵が描いてある浴衣で帯は紫だったかな?母と一緒に手を繋いで花火を観たり屋台でりんご飴を買ってもらったのを今でも覚えています。父が殆ど家にいなかったのでいつも母と2人だったのですが母と2人で過ごす時間が私はとても好きでした。当時私は
『消えない花火が欲しいの~!』と言って母を困らせていたそうです。
毎年花火の季節になると母を思い出します。
私にとってはとても優しい両親でした。
ずっと、一緒にいれると思ってました。。。。
(・∀・)