今日はえっちなことについての勉強会に行ってきました。男性も女性も、性風俗に携わっている人も、そうでない一般の方もいましたが、主に私のSMの先生の生徒さんたちが多い会だったので、みんな一貫してエッチなことについて真面目に考えていてかつ、言語化が上手な人たちばかりだったので、とてもいい刺激を貰いました。
その興奮を抑えきれずにこうして書いている次第です。
勉強会自体にも「自分の中のオーガズムが世間一般でいう”イク”ことと認識できたのはいつか(なぜか)」とか、「レスへの対処法は」など色んな議題があって楽しかったのですが、私が特に気づかされたのはある雑談の最中でした。
隣に座っていた女性から少し会話をしただけなのに、「むぎさんは母性が強すぎるのではないか」と非常に的を得た指摘を貰いました。
もしかしたら男性には分からない感覚かもしれませんが、女性の中には「人を甘やかしたい、世話をしたい」という感覚がハッキリとあったりします。私以外の女性にもそういうのはあるっぽいというのは分かっているのですが、男性には聞いたことがないのでわかりません。
そしてメサイアコンプレックス(自己肯定感が低く劣等感や罪悪感、無価値観を抱えている人が、他者を救うことで自らの劣等感を補おうとする心理状態のこと)とも少し違って、おそらくこの母性は男性の中の性欲の上位互換みたいなものかなと認識しています。
とにかく、そういう母性を私は早い段階から性癖と絡めてしまっていて、男性が自分だけに甘えてくれるのが好き、みたいなもう性癖として開き直ってしまっているが故に気にも留めていませんでしたが、確かにその母性が行き過ぎてしまっているのはあるのかもしれないと、その女性に指摘されて初めて気づきました。
いや私にとって父性や母性はとてもえっちなものという認識が行き過ぎていて、「女性が男性の”ママ”になってしまうと、ある程度の性的魅力を失ってしまう」といったことを他人から指摘されて初めて気づかされました。
これからはもう少し母性の発散先を考えてみようと思いました。
この話をしたうえで、続けてその女性は「私は男性のママにはなりたくない。私が~してあげたのに、あなたは何もしてくれないの!って憤りを感じるから。」と言っていたので、私が「じゃあ逆に男性側から何をしてもらえば、『~~~してもらえた!嬉しい』って思えるんですか?」って聞くと、「それがまだ分からないんです。これが私の足りないところだと思っています。自分の欲しいものをきちんと分かっていない。分かっていないから男性に求められない」と仰っていました。
いやあ、本当にすごいなって思いました。自分の言語化しきれていない部分や、モヤモヤしているところを「わからない」と言えたり、それが何に影響しているのかをきちんと認識できている人って本当に少ないのに、それをとても流暢に話してくれます。
またこの女性の見た目はミニスカ巨乳ニーハイギャルでした。ギャップもすごい。
こういう言語化が上手い人と喋っていると、途端に人生が楽しくなるのを感じます。
これツイッターにめちゃくちゃ書いたのですが、やっぱり言語化が上手い人が好きだなって改めて気づかされました。
私は「好きなタイプのマゾ、若しくは男性は?」と聞かれたら、『言語化が上手な人』と答えています。単純に言語化が上手な人とプレイするのと、そうでない人とのプレイでは、プレイ中に感じる気持ちよさに雲泥の差が出てくるからです。
私は変態プレイが好きな人たちが本当に欲しいのは「新しい刺激」や「さらに強い刺激」ではなく、「お互いの脳みそが交じり合ってドロドロになって、おかしくなるような何か」だと思っています。
もっと狂いたい、おかしくなりたい、というのが根底にある人が陥りやすいのが単なる強い刺激への依存です。
ですが、そんなことをしていてはいつか身体を壊すだけなので、身体への負担を最小限にしながら、脳内から快楽物質がバシャバシャ出るのに越したことはありません。
だからもっと交じり合えるように、私たちは相手と少しずつ自己開示をし合ってコミュニケーションをしっかり取ります。頭が気持ち良くなる下準備みたいなものなのかもしれませんね。
私のリピーターさんの中に、言語化が下手な人は一人もいません。
よく「むぎさんのお客さんはきちんとしている人が多い」と言って貰えることが多いのですが、多分プレイにおいて重視している部分がこういう言語化や相互理解だからで、私の前では弱くて恥ずかしいマゾだったりするけど、一般社会ではしっかりされているんだろうなという印象を受けます。
そういうところは普通に男性として素敵だなと感じるのですが、意地悪や私の性欲のはけ口にされることで勃起するところはちゃんと見下しています。
なかなか言語化ができていないし、今までやってきたことがない人は、書くことから始めてみるのもいいかもしれません。また私のSMの先生は、言語化ができない人にはまず本を読む習慣を身に着けさせるようにしているそうです。私も19歳の頃からとにかく「書きなさい。自分の中の棚卸をしなさい。」と教えられてきたので、こうして文章で自己表現ができるようになりました。
相手の知性に魅力を感じることをサピオセクシュアルとも言ったりするのですが、私は漠然とこれに該当しないなとずっと感じていて、でも会話が弾む男性には魅力を感じるのでずっとなんなのだろうと思っていたのですが、やっと今日答えが分かった気がします。
単なる「頭のいい人」が好きなのではなくて、言語化が上手い人が好きなのだと思います。。
話は変わりますが、最近真面目に婚活をしていて普通の当たり障りのない会話ばかりをしていて、少しつまらない日常を送っていました。
有難いことに、SMのお友達にも、そうじゃない人たちにも「むぎさんはモテますよね?」と言っていただくことが多かったのに、もはやそれを言われても「モテるから何?全然楽しくないし、いいことなんてない」と心の中で言ってしまうぐらいに卑屈になっていたのですが、今日は久々に英気を養えたように思います。
こうなってしまっていたのは、私の中で関わる男性に求めているものが明確になっていなかったからなのだと今は少しだけ反省しています。相手に求めるものが分かっていないのに、好きじゃない人を引き寄せてしまって駄々をこねていただけみたいな。
それから、一般の男性と当たり障りのない会話をすることよりもSMを通じて体当たりでコミュニケーションを取ったほうが面白いというのも理由なのかなとも思います。
また一般の男女としてする会話と、性癖も全部さらけ出して認め合う仲では単純に「言語化の深度」が違うのかなと思いました。
私は男性の表面上にあるつまらないものではなく、もっと深いところにあって、ドロドロとして濁っていて、弱い部分が好き。また私の中にもそれはあって、お互いに開示できる仲ってすごく尊いものだと思います。これからも大切にしていきたいですね。
ということで、むぎ婚活してま~~~す!毎日ペニバンで犯せるし、私の体液飲ませたり、フェチやNTRマゾとの相性は抜群です。我こそはという変態は、自己アピールしに来てくれ。でもそもそもプレイをしないと何も始まらないので、まずは私にいっぱい私に会いに来てくれ~!
みんなもSMに関わらず、いっぱいコミュニケーションと水分は取ろうな!♡
その興奮を抑えきれずにこうして書いている次第です。
勉強会自体にも「自分の中のオーガズムが世間一般でいう”イク”ことと認識できたのはいつか(なぜか)」とか、「レスへの対処法は」など色んな議題があって楽しかったのですが、私が特に気づかされたのはある雑談の最中でした。
隣に座っていた女性から少し会話をしただけなのに、「むぎさんは母性が強すぎるのではないか」と非常に的を得た指摘を貰いました。
もしかしたら男性には分からない感覚かもしれませんが、女性の中には「人を甘やかしたい、世話をしたい」という感覚がハッキリとあったりします。私以外の女性にもそういうのはあるっぽいというのは分かっているのですが、男性には聞いたことがないのでわかりません。
そしてメサイアコンプレックス(自己肯定感が低く劣等感や罪悪感、無価値観を抱えている人が、他者を救うことで自らの劣等感を補おうとする心理状態のこと)とも少し違って、おそらくこの母性は男性の中の性欲の上位互換みたいなものかなと認識しています。
とにかく、そういう母性を私は早い段階から性癖と絡めてしまっていて、男性が自分だけに甘えてくれるのが好き、みたいなもう性癖として開き直ってしまっているが故に気にも留めていませんでしたが、確かにその母性が行き過ぎてしまっているのはあるのかもしれないと、その女性に指摘されて初めて気づきました。
いや私にとって父性や母性はとてもえっちなものという認識が行き過ぎていて、「女性が男性の”ママ”になってしまうと、ある程度の性的魅力を失ってしまう」といったことを他人から指摘されて初めて気づかされました。
これからはもう少し母性の発散先を考えてみようと思いました。
この話をしたうえで、続けてその女性は「私は男性のママにはなりたくない。私が~してあげたのに、あなたは何もしてくれないの!って憤りを感じるから。」と言っていたので、私が「じゃあ逆に男性側から何をしてもらえば、『~~~してもらえた!嬉しい』って思えるんですか?」って聞くと、「それがまだ分からないんです。これが私の足りないところだと思っています。自分の欲しいものをきちんと分かっていない。分かっていないから男性に求められない」と仰っていました。
いやあ、本当にすごいなって思いました。自分の言語化しきれていない部分や、モヤモヤしているところを「わからない」と言えたり、それが何に影響しているのかをきちんと認識できている人って本当に少ないのに、それをとても流暢に話してくれます。
またこの女性の見た目はミニスカ巨乳ニーハイギャルでした。ギャップもすごい。
こういう言語化が上手い人と喋っていると、途端に人生が楽しくなるのを感じます。
これツイッターにめちゃくちゃ書いたのですが、やっぱり言語化が上手い人が好きだなって改めて気づかされました。
私は「好きなタイプのマゾ、若しくは男性は?」と聞かれたら、『言語化が上手な人』と答えています。単純に言語化が上手な人とプレイするのと、そうでない人とのプレイでは、プレイ中に感じる気持ちよさに雲泥の差が出てくるからです。
私は変態プレイが好きな人たちが本当に欲しいのは「新しい刺激」や「さらに強い刺激」ではなく、「お互いの脳みそが交じり合ってドロドロになって、おかしくなるような何か」だと思っています。
もっと狂いたい、おかしくなりたい、というのが根底にある人が陥りやすいのが単なる強い刺激への依存です。
ですが、そんなことをしていてはいつか身体を壊すだけなので、身体への負担を最小限にしながら、脳内から快楽物質がバシャバシャ出るのに越したことはありません。
だからもっと交じり合えるように、私たちは相手と少しずつ自己開示をし合ってコミュニケーションをしっかり取ります。頭が気持ち良くなる下準備みたいなものなのかもしれませんね。
私のリピーターさんの中に、言語化が下手な人は一人もいません。
よく「むぎさんのお客さんはきちんとしている人が多い」と言って貰えることが多いのですが、多分プレイにおいて重視している部分がこういう言語化や相互理解だからで、私の前では弱くて恥ずかしいマゾだったりするけど、一般社会ではしっかりされているんだろうなという印象を受けます。
そういうところは普通に男性として素敵だなと感じるのですが、意地悪や私の性欲のはけ口にされることで勃起するところはちゃんと見下しています。
なかなか言語化ができていないし、今までやってきたことがない人は、書くことから始めてみるのもいいかもしれません。また私のSMの先生は、言語化ができない人にはまず本を読む習慣を身に着けさせるようにしているそうです。私も19歳の頃からとにかく「書きなさい。自分の中の棚卸をしなさい。」と教えられてきたので、こうして文章で自己表現ができるようになりました。
相手の知性に魅力を感じることをサピオセクシュアルとも言ったりするのですが、私は漠然とこれに該当しないなとずっと感じていて、でも会話が弾む男性には魅力を感じるのでずっとなんなのだろうと思っていたのですが、やっと今日答えが分かった気がします。
単なる「頭のいい人」が好きなのではなくて、言語化が上手い人が好きなのだと思います。。
話は変わりますが、最近真面目に婚活をしていて普通の当たり障りのない会話ばかりをしていて、少しつまらない日常を送っていました。
有難いことに、SMのお友達にも、そうじゃない人たちにも「むぎさんはモテますよね?」と言っていただくことが多かったのに、もはやそれを言われても「モテるから何?全然楽しくないし、いいことなんてない」と心の中で言ってしまうぐらいに卑屈になっていたのですが、今日は久々に英気を養えたように思います。
こうなってしまっていたのは、私の中で関わる男性に求めているものが明確になっていなかったからなのだと今は少しだけ反省しています。相手に求めるものが分かっていないのに、好きじゃない人を引き寄せてしまって駄々をこねていただけみたいな。
それから、一般の男性と当たり障りのない会話をすることよりもSMを通じて体当たりでコミュニケーションを取ったほうが面白いというのも理由なのかなとも思います。
また一般の男女としてする会話と、性癖も全部さらけ出して認め合う仲では単純に「言語化の深度」が違うのかなと思いました。
私は男性の表面上にあるつまらないものではなく、もっと深いところにあって、ドロドロとして濁っていて、弱い部分が好き。また私の中にもそれはあって、お互いに開示できる仲ってすごく尊いものだと思います。これからも大切にしていきたいですね。
ということで、むぎ婚活してま~~~す!毎日ペニバンで犯せるし、私の体液飲ませたり、フェチやNTRマゾとの相性は抜群です。我こそはという変態は、自己アピールしに来てくれ。でもそもそもプレイをしないと何も始まらないので、まずは私にいっぱい私に会いに来てくれ~!
みんなもSMに関わらず、いっぱいコミュニケーションと水分は取ろうな!♡